絵画にはいろいろな鑑賞方法があります.絵画鑑賞は鑑賞者と絵画,あるいはその制作者との対話のような過程ですから,いろいろな方法があって当然です.知覚心理学者も観賞においてちょっと独自の鑑賞方法をとることがあります.そのいくつかは制作者が意図していたものであることもあります.ここではそのいくつかを紹介します.
その1:距離を変えて観る.
同じ絵画でも観察距離を変えると全然違ったものが見えてきます.数十cmの観察距離では画家の筆遣い,絵の具そのものの起伏,タッチ,カンバスのテクスチャーを細かく見ることができます.1〜2mの観察距離では,絵の具の起伏はほとんど見えなくなりますが,まだ一筆一筆の置き方,その一筆の配色が見て取れます.それに加えて,絵画の中の様々な対象物とその配置が見えてきます.5mも離れると,もう一筆の配色は分からなくなり,絵画の全体像が見えます.
1mの距離からの観察と5mの距離からの観察を比較してみましょう.1mの距離からの観察では,一筆一筆の絵の具の色の違いが見て取れます.野の木々の葉が,細かく見れば様々な諧調の緑の絵の具だけではなく,明るい黄色や深い青,ときによって薄赤い絵の具の配置によって描かれていることが分かるでしょう.絵画によってはそこにある種のリズムの様なものを感じることができるかも知れません.では,同じ絵を5m離れて観てみます.この距離では一筆一筆の配色はもうよく分かりません.もう一筆一筆の抽象絵画的リズムを感じることは難しい.その代わり,この距離では絵画の中に描かれた様々な対象物が見えてきて,先ほどまで見えていた一筆一筆はその対象物の表面においてお互いに混ざり合って溶け合って絶妙の色合いを実現しています.
同じ絵画なのに観察距離によって見え方が変わるのはなぜでしょうか?その理由は,視覚刺激の細かさに応じて異なる過程(「空間周波数チャンネル」と呼ばれています)による処理が行われており,観察距離によってどの過程の処理が優位になるかが変化するからだと考えられています.たとえば,観察距離が小さいと,細かな空間的変化に対応した過程(高空間周波数チャンネル)の処理が優位になり,一筆一筆のタッチが見えることになります.他方,観察距離が長いと,大まかな空間的変化に対応した過程(低空間周波数チャンネル)の処理が優位になり,対象物の形状や配置といった絵画の大まかな構造が見えることになります.
このように観察距離によって見え方が変わるため,1つの絵画が二つ以上の意味を持つことがあります.特に,印象派の絵画においてはこのような効果が意図されて描かれたものが少なくありません.また,ダリ『地中海を見るガラ』はこの特性を利用した絵画で,観察距離によってリンカーンが見えたり,裸の女性の後ろ姿が見えたりします.
その2:片目を閉じて観る.
テレビや映画についても言えることですが,片目で観ると,奥行感が強調されます.これは,両眼で観察した場合,観察対象が平坦であるという両眼視差からの情報がありますが,片目観察ではそのような平坦を示す情報が存在しなくなることによるものと考えられます.両眼視差以外の情報源(いわゆる絵画的手がかり)はいろんな奥行変化の情報を視覚系に与えているので,それらに基づいた奥行が知覚されることになるのでしょう.
また,タッチのはっきりした絵などは,タッチ自体が奥行情報を持つので,片目を閉じながら観ると,両眼で観察した時には感じられなかったような生き生きとした奥行を感じることがあると思います.
その3:少し頭を動かしながら観る.
これは「その2」の方法と合わせるとより効果的です.片目で観察しながら頭部を左右にゆっくり動かすと,絵画の中によりはっきりした奥行を感じることがあります.ただし,その奥行は絵の中に表現された奥行とは一致していないかも知れません.最近の研究で,奥行と運動とは密接に関わっていることが示唆されています.頭部を動かしながら絵を観ると,視野の中の運動が奥行と混同されるためにこのような印象が生じるのかも知れません.
この方法で観たヴァン・ゴッホ『サン=レミの療養所の庭』はすごかった!
周りの人の邪魔にならないように試してみて下さい(恥ずかしがっていてはできません).